意識の低さ、その致死性。
今回は僕が感じる意識の高い人間の有害性についてつらつらと乱雑にまとめました。ふーん、みたいな感じで読んでくれると助かります。
「意識が高い」という言葉あります。
この言葉の、その意味を調べると「ある事柄について強く意識している。ある理念をよく理解している。」と出ます。
これは褒められるべき事象について使われるべき言葉でしょう。
例えば、環境問題に強い関心を持つ人の事を「環境問題に関して意識が高い」というように自分が興味を持ち、あるいは何かに備えてそれに対しての対策を取るために強く意識をする素晴らしい人間に対して使われる言葉であります。
これが貶める、あるいは他人を小馬鹿にされる時に使われるというのは本来はありえない、と思うのですが…
「意識の高い学生」という言葉があります。
上記で出てきた「意識の高い」に「学生」という単語を付け足したSNS上で発生した数ある造語の一つです。
この造語、区分的にはどうにも”就活スラング”と呼ばれるらしく、自己のセルフブランディングに一生懸命になっている人間に対して使われる、まぁ、どこかズレていて痛いと思われる就活生、あるいは学生に使われます。
様々な講演会に主体性もなく参加し、就活で面接時のネタを作るために学生を集めてよく分からないイベントを開いたりし、面接時では「学生時代は◯◯サークルの代表をしていて~」と語り始めるタイプの人間でしょう。また、そういった活動をTwitterやFacebookなどのSNS上で発信し意識の高い発言ばかりする。痛いと言われるとこういうのが真っ先に思いつきますが、大体合ってると思います。
別にこういう人種を否定するわけではありません。
自分の人生です。より良くするために努力している人間を否定出来るはずがありません。
「意識の高い学生」でも、方向性や力の入れ具合が間違っていたとしても、その努力や行動力は本物です。
僕はこういった本物の努力や行動力、あるいは自分が本当にやりたいことを見つけている人間がする「今日はこういう活動をしました」という報告が苦手です。
本当に苦手です。
彼らのその行動を見る度に意味のない焦りが生まれ、メンタルはボコボコにされます。公害と言っても差し支えないでしょう。
「自分は(彼/彼女)に比べて劣っている。(彼/彼女)はTwitterあるいは他のSNSで自分の歩みを見せれるというのに何だこれは」と言ったような思いが生まれます。
皆さんにもあるのでは無いでしょうか。あると願います。
人と比べて、自分がいかに劣っているかということを痛感することほど惨めな事はありません。
こういった原因が自分にあるものの、どうして良いか分からない焦りや不安のようなモノを抱えている、あるいは「出来ている人間」の影響力から発生してしまう気持ち悪さをどうにかする方法はあるのでしょうか。
僕がすぐに思いつくのは
・自分自身が「意識の高い」という属性を持つ。
・将来に向けての確かな意識、目標を持つ。
・思い出さないようにして忘れるために寝る。
くらいなものです。オススメは一番下になります。だって楽だから。
もう一度言いますが、人と比べて、自分がいかに劣っているかということを痛感することほど惨めな事はありません。
それがどんな些細な事でも、自分が太刀打ち出来ないものを見せ付けられ劣っているかを知らされるのは心に来ます。致命傷です。
他人の努力というのは致死性の猛毒に思えます。
その努力がどういった経緯でどのような労力を支払って生まれた”努力”なのか、想像することは出来ても実践することは出来ません。
その確固たる事実が僕のような、あるいは他にもいるであろう「将来に確かな目標や希望を持てず、進路先をすぐには決められないまま流され続けてきた人間」には羨ましく思え、また猛毒に感じるのです。
いつかこの猛毒が消え、代わりに誰かを毒するようになる時が来るのでしょうか。
まぁもう就活スタートが秒読み段階の今に自分の意識の低さを確認しているようでは、その”いつか”はいつまでたっても来ないものと思われます。